2011 01 31


                                                                               2011 01 30

 

 

 

 

『デンシノオト』 のかたが ツイッターを再開した模様。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                                                                                  2011 01 29

 

 

 

京都の音楽ポータル「京都で遊ぼうMUSIC」のUstを 観た。

 

『うた』ってすごいな。

 

 

細かい事は省くが 、

 

 

 

『ちょっと こわい おにいさんに  ギターの ノイズまじりで

 

『てめえで決めやがれ』と唄われたら グッと来てしまう。』 という、すごく「珍しい感情」を感ず。

 

 

 

 

ネット脳、弱気な草食系で鬱屈して居る際に対して

やはり鬱屈した語り口 なのは もう 食傷気味であり、

 

こう、ちょっと野暮な 昔カタギの男気、というか。いや、それも一時的な感情なのだが それは 「うた」 だからずっと ある訳であって 、こう、まぁそれはまとまらないのであとにするとして、

 

 

さらに、 音楽をずっと やってくひとの やくざな 渡世感 というか、芯、みたいなものを 。

 

おれもここに「○○がやばいよよよ」とか 書いてる場合じゃないし 害毒だとおもう。

 

でも害毒を抜け出せない。

 

 

 

解毒剤によって 毒を抜く。

害毒から 毒を取ったら

 

 

害 じゃん、あぱぱぱ、つって、ナルシスの極み。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                                                                               2011 01 28

 

 

 

 

ああ          おお

 

午前4時

 

酔っぱらっておまえは なにを書く ?

 

 

 

おまえが嫌いな連中にも明日がある つまり おまえの事なんて1センチも頭に無い

おまえが好いてる連中にも それは言える

 

 

 

 

                 あぱぱ

 

 

 

 

 

みなが 試練と鬱屈のなか

 

 

『自分だけの事を考え実行しとりあえずの安静と安定を求める、他人にはどうしようも出来ないしそのかわり自分は他人には何も出来ない『罪』を『差し引きゼロ』に出来る、』

『めんどくせえ事言い出した方が負けだ』、『サラリーマンでも自営業でも嫁の実家手伝うでもナンでも』、『かじりついて生きていかなきゃならない』、

 

皆がつらい皆が恥ずかしいそれは一緒、だから自分も生きていける。と。

 

 

 

 

 

           あぱぱ おめへは もお わからない ことの アル

 

 

 

 

 

ただ ゴネてるのか

ただ すねてるのか

 

 

「真っ当な」道、100人居たら100通りの筋の通し方、   あぱぱぱン

 

これだけの実在の中

なにが『自由』だ。なにが『表現』だ。つって、『セルフツッコミ』を自分に入れながら。やっぱり みじめで。 つらい。 

 

 

 

その恥は隠さなければ。

 

話にはオチを つけねば。


深夜に書くなら  酔っぱらった自分を事前に想定せねば。装丁せねば。ろくでもない利き腕に装填せねば。        あぱーん 

 

 

 

あぱぱ

 

やっこさん、

 

夜が明けるのを じっと待ってるのさ。      

どこで? 楽屋で。

 

 

  おまへの 部屋 で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                                                                                  2011 01 27

 

 

 

 

 

 

それにしても

リミックス時にギターを弾くのだが いささか暴走気味・ナルシスの極みになってしまう。

しかし弱々しく弾くと もう もはや 意味がなくなってしまう 。

 

とにかく いささか 無責任だが、  

原曲の持つパワーにかぶれて いるし、それは  た の し い 。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                                                                                  2011 01 26

 

おととい、

iTunes Storeからの映画ダウンロード販売 をやってみたくて、

 

『コップ・アウト』という悪ふざけな映画を。iPod touchで。観た。

 

ブルース・ウィリス と トレイシー・モーガン 。

 

ベタなんだけど あらゆる過去の映画のパクリ、オマージュ、暗喩、が、効いてて 面白かった(結構 元ネタがわからなかったが)。

 

最後の『腎臓を打ち抜くぜ』みたいなのも…なんかの刑事映画のエンディングであったハズ。「黒い血だ!もう助からない!」みたいな。なんだったっけ。

あとスタッフロールが始まったと思ったら『スクリーム』ってホラー映画の……なんか頭を抱えてしまった。

 

痛快。

 

 

 

 

 

 

 

昨今の映画、『YouTube』『Wikipedia』などといった言葉が無いと もう駄目というか、観客が興味を惹かなくなってしまわないように あえて入れてるのかな などと思う。

 

とか言ってたら『ソーシャルネットワーク』とか。あって。観てない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                                                                               2011 01 25

 

世間のカタギの皆様は給料日で うはうは・いけいけ・     か?

 

銀行は駐車場がたいへん混雑、誘導員の労働者が駆り出され、みな不快な顔。

軽に乗ったおばはんの意思。誘導員の主観。みんなの言い分。むかつき。不愉快。

 

あと何回こんな事を。早く家に帰りたい。皆がそう願う。心の平安、平静、平常。

 

だがそううまくは行くまい。この世はクレーム、叱咤、怒り、罵倒、悪態。   それだけだ。

その上に成り立っている。そうでなければ困る人が居るし、それが常識だ、そういうものだ、と みな 思っている。

 

 

 

小さな戦争はあちこちで起きている。

 

LOcal で。

 

ローカロリーで。

 

ローカルな。

 

 

 

わたしは永遠にモス・バーガーに いる。

 

 

 

 

 

 


 

元 劇団Logos村 のS川氏 と2011年入ってからこっち、初の遭遇。新年のご挨拶。

いろいろ話す。マックドゥ・ナルドゥゥは煙草が吸えないので。

       モッス・ブゥア〜グワァー で。      楽しい。


 

 

 

 

 

Adachi Tomomi Royal Chorus 『Yo』を聴きながら書いている。

 

 

 

ゆうべから徹夜である。理由は無い。なんだか学生みたいな感じを味わいたかったから徹夜。むしゃくしゃしたから徹夜。バールのようなもので徹夜。反省は徹夜。

 

 

 

 

それにしても、

本来であれば、

血糖値高めに、「うおおおおおおお」「おもしろいことやろうぜえ!!」と絶叫/実行 したいところであるが、不可能である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                                                                                                                            2011 01 24

 

 

18:00現在、ちょっと二日酔い気味にスーパーマーケットへ行き、牛乳 ヨーグルト ヨーグレット 等を買い帰宅。

やっと体調が戻ってきたが あやしい。

 

スーパーの売り場で少しよろけて作業服のひとの買い物カゴにぶつかってしまった。「失礼ッすみません」とすぐに謝って、ぜんぜん向こうもオッケーよ、みたいなかんじで。それは良かったが なんか へこんだ。

 

 

昨日は 謎の酒の席に行った。

 

新潟駅から帰宅の際、気分が悪くなり関谷駅で下車。新潟大学前の自宅まで歩いた。  雪で ずくずくになった。

 

辞めちまった末端労働の 名ばかりの 送別会。

 

誠意や善意は3人以内なら まだ伝わるが

 

『集団』になった際の『場』のエネルギーというか『暴力』というか、

 

人間の能力など アテに出来ないものだ。(もちろんそれは自分自身もアテにならないという事であるが。)

 

 

 

 

今後、もうこういう不毛なことはやめたい。

 

この文も不毛だ。

 

客観的に描写 してるつもりか ?

 

こうやって文を書けば  神サマになった気分か?

 

 

 

 

 

ちゃう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『みんなそうだよ』『おれもそうだよ』 の一言で 終わる。

その程度のものなら黙ってろ。

 

 

 

といったところであろうか…

 

 

 

 

 

 


The Black Rider ('93)
The Black Rider ('93)

 

 

グラミー賞の前作「ボーン・マシーン」から1,通算15枚目

 

 

 

舞台のための音楽を練り直して作った準サントラ・オリジナルアルバム。

 

「悪魔との取り引きで思い通りに当たる魔法の銃弾を手に入れた若者が射撃コンテストの当日に放った弾が悲劇を招き、若者とその花嫁が精神病院で狂ったように騒ぎ踊る中で悪魔主催のカーニバルが催される」という話だそう。

 

これはドイツのロマン派文学、Derfreischutzと言う作品を元にしたものだそうで、脚本があのビートニク作家のウィリアム・バロウズで演出はロバート・ウィルソン(彼は代表的な前衛演出家)

 

 

実はトム・ウェイツにくわしくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづき)


 

朝方、

堀江敏幸の短編をひとつだけ読んだ。

 

 

 

なんてこと  ない。

なにかが激しく 動く わけではない。

なんかが ちょっと ある 。

 

のだが、そこを『感ずる』ことが出来ると なかなかに味わい深い。

 

てのひら、と書いて「掌編」という言葉(みじかい小説のこと)があるが、まさに それが似合うというか。

 

 

 

 

 

 

 

それにしても思うのだが、

主にネット等で見受ける   『物語的』な『解説』、ネタばれ、3行でまとめる、的な文化・カルチャーは はなはだ 疑問である。

 

もちろん「あらすじ先行されてナンボ」の世界、エンターテイメント的なもの、があるのは解るし好きであるが、

こう、結局 本人が作品に読んだり触れたりして感じとった後、どんなに言葉を尽くしても言い表せないのであり、

それどころか もっとネガティヴな言い方をすれば、

読んだ人と読まれた作品  、は、両者すばらしく絶対不可侵の聖域に居る ことが出来る のに、それなのに、こう、

解説・説明・感想を申し立てたり、(また、さらにそれを批判されたり)、すると、すると どうでしょう。

ぐだぐだの泥沼に相なる、なってしまう。

というのは 困った事である。(それはきっと人間がナマモノだからだ。)

(そして、いろんな『周りの見えざるチカラ』が働いてしまう のだ。人間はナマモノであるが、そのくせ、作品と人、そこにあるのは紙と眼球と脳みそ だけではない。社会的な何か だ。)

 

 

 

 

                               ・

 

 

 

いささか飛躍するが、わたしは個人的には

 

 

書道のひとが、

白紙に、毛筆で線をガッ、と引いたら、

その「書道」、じゃなくて、「初動」の瞬間に惹かれる のだ。

 

 

 

なんでその紙なのか。なんでその筆なのか。こだわりはあるのか。

なんでそこから書き出したのか。ほかにいくらでも余白はあるではないか。

 

 

 

 

 

最終的にその書道家が書き上げた『文字』が、「幸福」だの「命」だの「道」だの「死ね」だの「ちくわ」だの、

その『記号』には あまり興味が わかないのだ。   その、内容には。(これを突き詰めて考えると小説とか物語とかにも『興味』がなくなる。とかそういうツッコミはやめていただきたい)

 

 

禅問答のような、些細なモノがわりあい好きである。、

たとえば解像度、という言葉があるが、この『書』の場合で言うと、

じゃあみんなで『火』という文字を今から書こうとしよう。

 

 

普通にすらすらと「火」を書いてしまっても良い。2〜3秒で済んでしまう。 

 

 

だが ひねくれもので、なおかつすご腕のアナタは点をちょんちょんちょん、ちょんちょんちょん、と書き出した。なにをやっておるのだ。ふざけているのか。

つって、待つ事数時間、見ると、

 

『2~3秒で書いたモノとまったくおんなじ『火』の文字』      が そこにある。   すごいやん。

 

 

 

ここで この 解像度、つまり「解らない」。 識別出来ない。すご腕だから。(なんなら機械に書かせても良かった。)

2~3秒で書いたのか。点をたくさん書いて数時間かけた  のか。 

 

 

 

 

 

 

                                 ・

 

 

 

で、煮詰まってきて、ここでテープがギュルギュル、つって、時間を戻す。

 

 

もっかい、書道のひと、えらいひと、に出てきてもらって、『火』を書いてもらおう。解像度という言葉を意識しながら。じっと。スローに。

で、書道のえらいひとは汗をかきながら言うかもしれない。

 

 

 

「いやあ紙や筆にこだわったこともありました。余白にこだわったこともありました。すらすらと書かず、点をちょんちょん、とやって文字を書いた時期もありました。機械に書かせた事もありました。理論で書いた事もありました。酔っぱらって書いた事もありました。」

 

 

 

 

もしくはシブい表情を作り、

 

「……」

 

という感じ、かも知れない。

 

 

 

 

 

 

                                  ・

 

 

本当の事なんてわからない。何かが、誰かが、作品が、モノが、「〜と言われている」なんて当てにはならない。

 

 

わたしも この文で何かが言いたい訳ではない。ただ、のちに誤字/脱字/破綻/がないかチェックするだけである。本当はコタツでテトリスでもやっていたい。「メンドクセー奴」だなんて言われたくない。

 

 

 

なぜこんな話をしたかというと、ちょっと前、

『世界一ウケたい授業』という番組にオノ・ヨーコ女史が出ていて、

 

若干うろ覚えではあるが、

 

一本の線が引いてあって、その下に「この線は非常に大きな線の一部です」と書いてある絵(のようなもの)がスタジオに出てきた。

 

 

 

それだけでは訳が分からない。つって、オノ・ヨーコ女史がみずから解説・説明したのだが、それはなんてことはなくて、ちょっとうろ覚えなのだが、

「この線は世界につながってる」、みたいな、「世界を表した」、みたいな感じ(すごく稚拙な表現で申し訳ない)であって、その解説を受けて、その番組のスタジオが、

 

 

「おおーーー…」

 

 

となったのを、過去 テレビで観た事がある。

 

 

 

 

 

 

 

なにかと大御所に噛み付きたがる害毒は多いが、オノ・ヨーコ女史のエッセイはかなり面白かった記憶がある。そして、テレビ番組向けにかなりレベルを合わせて、(そして大衆的な自身のイメージを引き受けながら)話していたのだと思う。つまりそれは面白いし素敵。だと心からわたしは思う。

 

 

 

 

 

 

 

だがわたしはテレビ的「おおーーー…」が嫌いである。

 

 

 

 

 

アハ体験?アパパ体験?

 

目からウロコ?

 

頭が柔らかくなった?

 

トリビア?まめ知識?

 

脳が若返った?

 

 

 

 

 

あまり好きじゃない、というか、なんというか、逆に 盲目に させられるような。

 

 

 

 

 

 

 

                                 ・

 

物事、作品、あらゆる なにか、 

突き詰めていったり、消去法だったり、停滞からのブレイクスルーだったり。

それらの「解像度」(的なもの)をひっさげて…『現象』とか『モノ』と対峙出来るわけであり、

また、「パッと晴れるように膝をたたいてワカッタ!!」となることも無く。、そこはただ無力に無情に無常に流れ行く時に身を任せるのみである。

 

とってつけたような「3秒でまとめてね!OK?じゃあゴー」というファストフードみたいなものではない。

 

 

 

もちろん、

かといってストイックじみたスピリチュアルじみた不気味なものではない。

 

 

村上春樹が映画化されるなら、あなたの解像度でもってして

文学賞受賞作家の新作を読むならあなたの解像度でもってして

あらゆるものごとをあらゆるしかるべき場所に移す ように

 

 

やってくれ。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だがあまりにもしゃちほこばって、頭でっかちに、くそ真面目になったところで…

一流は肩すかし。そう、

肩すかしを食らわされる。サインウェーブ奏者の「たかが音楽」という言葉や、超絶ピアノ曲を弾いた後の「まぁ、まずはゆっくりやって…覚える事が大事ですね…」という言葉。おお。  ああ。

 

 

                                 ・

 

 

あなたはiPhoneの画面をみつめる。

雑誌で読んだが、解像度が高ければ良いワケではない らしいのだ。

どういう話かというと、

技術の進歩、解像度がどんどん上がり、書き込める・表示出来る単位が細かく細かくなっていき、結果、文字が(人間の視力で)見えなくなってしまったら、本末転倒だ。

で、だいじなのは『密度』であるということだった。

 

 

 

 

 

 

 

解像度解像度うるさいのは誰だ?わたしだ。しかも無職だ。暇人はろくなことを考えない。夕方のニュースで、アップで映った市橋達也容疑者の、顔。の、解像度。と、それを二日酔いの猿みたいにホウけてみてる、おれ。耳鳴り。

耳なりの解像度。耳鳴りの社会性。

 

 

 

 

                                                     ((おわり))

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                                                                               2011 01 21

 

それにしても、

 

村上春樹の映画を観て、

わたしのカーチャンの知り合いのおばはんが「笑ってしまった」というが、それは不純 ではなく正直で いい感想だと思う。

 

ある音楽家などは、『ノルウェイの森』を読んで気持ち悪くなって 実際吐いた、と言っていたがそれも好感が持てる。

 

 

もちろんわたしは その映画を観ない。

 

『監督が何度も頼み込み作家本人がやっとOKを出し映画化…』と新聞で読んだり、

音楽(効果音?)がレイディオヘッドのジョニー・グリーンウッド であったり、

細野晴巨氏が出演していたり、

 

興味はあることはあるし、19〜20歳の時分に読みまくったし、(初期の3部作は3回ずつ読んだ。)わりあい好きなのだ。文章も最強に巧いと思って何度も読み返した。

だが こう、ベストセラーだ、ノーベル賞だ、映画化だ となると 

なんか幼稚にムかついてしまった。

 

 

 

 

映画 自体はきっと映像もキレイで いい感じなのだろう。

 

 

 

 

 

ひとは物語を求める。

掘り起こされ、ゴテゴテにトッピングされ、

パッケージされ、消費される。

ウワサ、ゴシップ的、俗的な、ほうけた目線のなか、

昇華ではなく、消化される。

「ハイハイアレがアレね」とあらすじを連呼。シーンを連呼。「ぅぅわたし観たよよよよよ」のひとことを言いたがる。

 

 

 

 

 

翻訳がかなり良いのでそっちが気になる。

ティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』は本当に良かった。

こう、戦争系の映画的なイメージ を覆してくれた。

ぜひ。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

近所の書店。 LOcal な本屋。

 

サウンド&レコーディングマガジン を買おうとして、やめ。

 

町田康『テーストオブ苦虫4』と堀江敏幸『ゼラニウム』購入。

 

 

高いから買わないが、装丁がかっこいいものがあってチェックしてきた ↓

悪魔祓い (岩波文庫) [文庫]
悪魔祓い (岩波文庫) [文庫]
そしてカバたちはタンクで茹で死に
そしてカバたちはタンクで茹で死に

 

花田 清輝 

というひとの本は書店では見かけない。

 

埴谷雄高

というひとの小説は実は読んでないのだ。




 

『80年代前半から活動を続ける DEATH IN JUNE 。


新たに参加している Miro Snejdr のピアノを全面にフューチャーされ、Douglas Pearce の陰りを帯びたヴォーカル(ポエトリー・リーディング)と僅かな電子音によるゴシック・インダストリアル・サウンド。もしくはポストクラシカルなゴシック・インダストリアル。』 

 

 

 

とあるが、この妙な『嘆美』な感じは なんだ ?

たしかに『ゴシック』なイメージがあるが よくわからない。

 

普通に巧いのだがなんか不気味な ピアノが良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*メモ*


DEATH IN JUNE ‘

 85年にポスト・パンク/ポスト・インダストリアル・ミュージックとして表出してきた民族音楽家ダグラス・ピアース率いるデス・イン・ジューンは、常にメンバーが入れ替わるセッション・バンドだった。

当初は’81年にピアースとパトリック・リーガス ( Patrick Leagas ) とトニー・ウェイクフォード ( Tony Wakeford ) がこのバンドを結成するのだが、ピアースとトニーはパンク・ムーヴメントに乗って’77年に結成されたCrisisのメンバーで、Rock Against RacismやAnti-Nazi Leagueを掲げ3枚の7インチ・シングルと、ミニLPを発表した後’80年に解散した。

デス・イン・ジューンはジョイ・ディヴィジョンに影響された部分が大きく、’83年に古代から現代のヨーロッパの歴史を参考にしたエレクトロニックとトラディショナル・ヨーロピアン・フォーク・サウンドのアルバム ” The Guilty Have No Pride LP ” から、’90年の ” The 1888 ” を通して考えると、Boyd Rice、Erik Konofalなど多くのアーティストとのコラボレーションを展開しているが、やはりデイヴィッド・チベットのカレント93の世界が拡張されたフリードリヒ・ニーチェ、ノルウェイ/北欧の神話、詩歌、三島由紀夫、ドイツ古代民族、イギリスのアイルランド、ウェールズ、スコットランド人のサクソン詩を横断するネオ・フォークこそがダグラス・ピアースの世界だと言えるだろう。

デス・イン・ジューンにもマスクや第2次世界大戦に使われたドイツのカモフラージュの軍服、トーテンコップ6と呼ばれる輪のなかの頭蓋骨、中世のフェティッシュな鞭など、シンボリズムを使った独特の美学が流れているが、’86年に夢で見たお告げともいえるルーン文字の暗示など、すべてがピアースのネオ・ナチズムの第三帝国への政治的関心から生まれたものだろう。

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                                               2011 01 20

 

毒づくのはやめだ。 目玉が おちそうだ。  

 

 

 

 

 

 

ところで

今日の19:00頃、 メシ・シーメー・お食事・御飯 を いただいていた・頂戴していたら、  テレヴィジョンのニュースでやっていたのが『アブラクサスの祭」であった。

で、原作者が

 

玄侑 宗久 とあって、驚いた次第である。

 

 

2005年、このひとの『中陰の花』という なにかの受賞作を(わからぬまま)読んだ記憶があった のだ。

(19歳くらいだから覚えてないが なんかわりあいに面白く、不快にはならなかった。)

 

 

 

で、最近 おもに音楽家・ミュージシャン・関係 の情報で『アブラクサス』という言葉を目にはしていたが、原作者がこのひとだったとは つゆ知らなかった。のだ。

(かなり 今更 だが。)

 

 

 

 

 

そして今コレを書いている19:30頃、ネットで検索してみたら あらすじが  ↓

 

『東北の小さな町の寺に勤める僧・浄念は、躁鬱に苦しみつつ薬と酒の力を借りて法要をこなす毎日。不惑間近となったいま、学生時代にのめり込んだバンドへの情熱が心を占める。やっと実現にこぎつけたライブのステージで、強烈な恍惚感とともに降りてきた啓示の正体は……。精神を病みロックに没入する僧が、祝祭の只中で感じた歓喜と安らぎ、心のひそやかな成長を描く芥川賞受賞第一作。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

面白そうじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画はちょっとアレだが、  

本読みたいな、アブラクサス、でも他にもいろいろ出てるよな、つって、  家の親の本棚を捜索、やはり『ミーハー的雑食系文豪』の祖父から『流れて』きたモノが発見された。

(さすがだ。おじいちゃん。) 

 

『禅的生活』

『私だけの仏教』

あとなんか シスターとの対談。

 

とりあえず3冊 確保した次第である。  

 

 

 

 


 

 

「求人情報誌を枕に」寝て読書、とは昔よく冗談で言ったものだが …

 

まあ なんとか ならん  ものか 。

 

 

 

ああ…『マイナー音楽のために』 も読みたいし…

 

『ジャズ・オルタナティヴ』も…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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無職になって4日が経った。そろそろ く び が 取れてきそうだ。

 

おれは呪われているのか? 無職になり、BOOK OFFに本を買いにいく という行為を2万回くらいやってきたが 

大体 目当ての本が『立ち現れてくる』のだ。

 

すべて文庫。今日は『な』行『は』行 の棚が おれを呼んだ。

 

中島らも『らもチチ わたしの半生 青春編』、


堀江敏幸 2冊、

 

そして新刊で出た時 目に入ったが 買わなかった

中島義道『エゴイスト入門』。 このひとは大森荘蔵 という人の弟子的な人だ。大森荘蔵氏の本も2冊持ってるが読んでない。

 

 

 

 

それにしてもブックオフのアルバイト店員はあいかわらず みな気でも違ったように『あしゃませえええええー…ぅぅーんにちわああああああ』と絶叫しているが

あれはなんとかならんもんか。上層部はナニを考えているのだろうか。万引き防止にしてはちと念が入りすぎている。(おいおい、ここは合衆国か?)(空襲訓練か?防空頭巾も中古で売ってるのかここは?)

 

レジ作業中にも 店から出て行く客に『ぅうぅ ぅありがとやしたぅああぁたおこししゃせええええええええん』というが、アレは『攻撃』だ。

なぜ?攻撃なのか。

 

店員からすれば、

 

「わたしは今まさにあなたのろくでもない本の勘定をしているが、ぜんぜん、それだけに没頭・従事・しているわけではなく、他の事も見てるし考えているのじゃよ。あなたにとっては一世一代の『勘定』かもしれないがわたしにとっては『日常』じゃよ。ほら、お客がお帰りだ。あなたを目の前にしつつも、その場で『ありあとやしたー』と絶叫することによって、第三者の確認・確保、わたしとあなたの閉塞的な空間・場・絶対零度の磁場・に、すがすがしい風穴をわたしはあけてるつもりですけど、何か?これはわたしを守る鎧であり、また、間抜け面したあなたに対する槍、剣、そう、攻撃に他ならない。あなたは『客』。あなたは『異質』なものだ。異質なものは恐ろしい。だから攻撃する。これは『社会性』と言ってもいいかもしれないね明智君。ご不満ならブログに書けば良いさ。指をくわえてわたしの動作を見ていれば良いさ。そうだろう?なにか? かしこ」

「おやおやお客さんだ。ぅぅぅうぃッあしゃませえええええええーーーーーむふぅうぅぅうんーにちーわーあぁあああ」

 

 

といった所であろう。

 

 

 

コンビ二も牛丼屋もラーメン屋も配送屋もキチガイばかりだ。それでも無職のわたしに比べたら崇高で高尚な気高き生き物なのだ。そうさ。

奴らはわたしの顔2cmまで近づきマイクロフォンパフォーマンスをやめない。指差し、糾弾し、こき下ろし、笑い者にする。

 

ああ、

社会はまわる。誰が決めたのか解らない円心力。初期設定である重力。「なにくそ」と蓄える権力。通販グッズで鍛える筋力。ローンで買った いかつい車。金ネック。ダボダボのファッション、。「どうだ?おれおっかないだろ?お?おれの車にぶつけてみな…いや、おれはなにもしねえ。だがおれの二の腕がおめえになにをするか?ってのは…また別問題さ……おれの責任ではないぜ……やってみるかい?」

 

みんながシーマに乗る。みんながセドリックに乗る。みんながオートマティックの軽のマフラーを換える。ハンドルを太くする。ジャージとスリッパで運転する。「よお、おれはまるでリビングでソファ〜に座っているみてえな乗車姿勢で運転しているこの渋み?強み?すごみ? 事故った事無いからああ。これからもこの乗車姿勢を保ったまま善良な民間人として勤勉な社会生活を営みたい、と『勝って兜の緒をしめる』心境でござあすよ。感無量とはこのことですな!!_ 」

 

 

 

 

つって。(笑)。  つって(株)。

つって。(仮)。

 

(のびた)。


 

つらいときは機材の話さ。自分の腕の無さを、ギターのせいにする。耳の悪さを、インターフェイスのせいにする。良いのさ。それで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハードオフ新通、ジャンク扱いで

 

RolandRE-201SPACE ECHO 

 

が一万五千円で売られていた。

『エンドレス・テープが破損』とのことだ。

 

 

他にも Rolandの 謎の 6chミキサー、レトロなルックスが なかなか たまらなかった。5000円。高い。

 

それにしても

オーディオテクニカの 謎の 『DJエキサイター』を買う奴は居ないらしい。3000円くらいだが。ニンテンドー64 みたいなスティックが付いている。謎。

 

 

実は 、

オーディオインターフェースの前にかませるマイクプリアンプという奴を狙う。

デフォルトの中国製真空管 を取り替えれば機能は向上するらしい。が、ネット上のおじさん達のレヴューはどこまで信用していいのか解らない。

というのも、男は夢を見るしロマンを持つしこだわりを譲らない。

みんながプラシーボ。みんなが精神的引きこもり。理想。空想。妄想。蒙昧な。ああ。

 

 

真空管の話に戻そう。

わりあいに 安いし その 交換も 楽そう なので 購入を検討している。

ギターなど録音時 どうしても とってつけたような『ペナペナ』感 が残り『リアル』な肉感 が 無い。

なにかが、必要なのだ。

 

『安物買いの銭失い』をするタイプだから怖いのもあるが、

 

少しでも アレ なかんじにしとうてしとうて気が狂ってる。ことのある。ああ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                                               2011 01 18

 

どこまで話したか…

 

まったくろくでもない。 こんな文章を書いても仕方が無い。読むあなたも あほ だ。 

 

まったくひどい。

 

 

 

 

                               ・

 

 

 

 

 

ティーンエイジャーから22歳まで  Logos  というバンドメン という肩書きだったがそれも解散・散開、

22歳の時 それなりに稼げる労働をやめ、Macbook(2008 Later)  とiPod nano 8GB、 割引で買ったCubase essential4 を握りしめた私は 自動車免許を取りながら 引きこもった。

 

途中 夏は 水族館で皿を洗ってみたり、(ここで学んだことは地方の水族館職員は ラクそうに働いている ということ、)

あとは単発のろくでもない労働、

いきものがかり の連中のモニターアンプを運んだり(ここで学んだのは わたしはいきものがかりが嫌いだということ)、

リストラ系おっさんにまぎれてアンジェラ・アキのコンサートの護衛をやったりした(ここで学んだことは わたしはアンジェラ・アキが嫌いだということ)。

 

 

 

笑ってしまうのは 『無職期間の方がApple製品を買っている』ということだ。

 

Air Mac Express

iPod touch

iPod Classic

eMac(中古)

Power Mac G4 (ジャンク)

(笑)。

 

 

 

ネット環境が先にあれば良かったのに と負け惜しみで思うものだ。

『煮詰まる』、『息詰まる』感…職場にばっか居る気がする。このままでいいのか。なんかまずいんじゃないか。

そんなときにMacとネットが(もっとはやく)あれば、それこそ「割り切って」やっていけた気がする。(過去形)。

 

『趣味』 の快楽…それがあるからみなさま 紳士でおられる。おられることが出来る。  そうさ。

 

ちなみに『趣味に走る』というのは それは わけのわからん教室とか資格とかそういうファッキンな俗っぽい事 ではなく、

 

インテリや読書家、各種クリエイティブな人間たちの筆跡や足跡をかいま見る。そうすれば『自分も何かやろう』なんていった『思い上がり』は消え失せ『善良な労働者』になれる。なろうとする。そっちのほうがラクだから だ。という『何か』。その『何か』さ。その『ヘコみ』のためにネットを使うのさ・。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして ここからが本題だ

 

まずは近況だ(みなさま聴きたいだろう?わたしの『報告』 を?エッ!!??)

 

 

 

 

半年ほど某飲食店で(名ばかりの)労働をしていたが

 

2011 01 15  限りで退職した。むかついたから最後は連続無断欠勤しまくったがね。ハッ!!ナニも言われねえ!!!(こういう武勇伝を語るほどわたしは腐っていたのであろうか)。

 

 

 

 

つまり流行りのニート(笑)。

 

エリア・コード・エヌ・イー・イー・ティー!!と3度叫べば 『MC底辺』がおでまし だ。 (そうだろう?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

24歳 無職。 

 

(笑)。

 

低学歴 資格無し 経歴無し  。

 

 

 

 

以上!おつかれさま!!!おつかれさま!!! つって、首を吊った(嘘)。

 

 

まったく やる気が起こらない。

まったく すべてが むかつく。いらつかせる。「おれをいらつかせる為だけにテメエらは朝飯食うて車ァ転がしとるんかい!あぱ!アパホテルルル」といいながら金物屋の店先で全裸でひとりバックギャモンをやりました。

『新卒』というブランドの為に。みんながんばれがんばれ。みんながジョン・ウェイン。まったく幸せじゃないよ。ぜんぜん、ハッピーじゃない。ただわたしよりはマシだろうね。うん。親とか。いるしね。世間体とかさ。あはは。専門卒?大卒?バイソン?がんばれがんばれ、みんながショーン・ペン。戦争だ戦争だあああああああああああああああああああああアパホテルルル。みんながデ・ニーロ。わたしが社長です。教頭『校長先生からお話をいただきます』校長『首もゲレコード』わたしが社長です!! 1←これは いち だよ!!

 

 

すべて自分のせい。そして、自分が『選んで』来たものだ。

 

 

 

 

自己責任。

事故の石器人。

 

次回の。おいはぎ。

 

 

 

男達は『おれはやってやった!!オラあ!見やがれ!』と叫びながら 富と権力と社会性を見せつける。金ネックをしてラップする。

わたしは鬱屈して完全に恥にまみれ、逃げる。

 

 

逃げられん。

 

 

一生ものの  アレ で

   すね、ちがいますかvfkbfg「zZcslc???

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                              ((のび太。))

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                                                                                  2011 01 17

 

 

 

 

                      ~ どうでもいいかい? 〜  

 

 

音楽は 聴いている。

わりと 聴いている。

 

だがここに ジャケ写や動画を貼付けたり、そしてなによりわたしの素人くさいレヴューを書くつもりは今はない。

 

 

なぜか?

 

年末 このウェブログでウェブサイトを(勝手に)紹介したが それはそういう意味だ…

…つまり『わたしの駄文を読むならそれらを読んだ方があなたにとって(-わたしにとっても-)有益な時間となるであろう、という事をお伝えしたかったワケさ。麺。

 

 

わたしは書きたくない - - -     あらゆる事を。あらゆる事も。

現に 今こうしている瞬間も、MacBookのキーボードがまったく指先に馴染まない。眠りたい。

 

 

 

 

 

                      ~ どうでもいいかい? 〜  

 

 

 

 

 

だが わたしは書かなくてはならない。毒を吐かなければならない。読む人を不快にさせなければならない。

 

なんのために? なぜ?                          ホワイなぜ? もしくは なぜホワイ?

 

 

 

そんなことはわからない。

そしてそれはもちろんさ。もし 理由を解って やっていたら                      --わたしの『害文執筆』を、私自身がいわゆる『確信犯的』にやっていたとしたら--

 

 

 

 

 

 

あなたは

 

 

不快にならないではないか。 

 

 

 

 


 

                    ~ どうでもいいかい? 他人の『自分語り』、しかもWeb上での… 〜

 

 

 

わたしが初めて『労働』をしたのは16歳だった。高校1年生だ。自転車で15分のホームセンターだった。新潟の企業の。店名は言わない(ところで、風見鶏っていいですね!)(コ・コ・コ・コケッコー!!。)

 

初出勤、人生初の『仕事』はよく覚えている。9800円とかで ある『折りたたみチャリ』の組み立てだった。細かいビニールがいくつか パーツの細かい所に入り込んで取れなくなってて、「これでいいのか!?」と懐疑的になった。

 

ここで学んだのは

 

『高卒社員』や『地元就職』という言葉、

仕事中は携帯電話を持たないこと、

偉い人が巡回/視察に来たら煙草は吸わないこと、

『上司が鬼にならなければ組織は動かず』という本の、新聞の切り抜きを自分のロッカーに貼っているような社員とはわたしはソリが合わないということ、

社員とアルバイトで付き合ってる 人たちがいる場合 色々面倒だということ、

女の店長はタフだということ、

肥料の牛糞を運んだりするとジーンズがあっという間にボロくなるということ、

新年度シーズンはレジが非常に混み合い パニくる こと、

灯油販売の際、手の傷に灯油が入ると あとで紫色に晴れ上がるということ、

 

 

などだ。

 

 

 

そこには1年と少し 居た。 まぁわたしもウブで草食系だった。その職場のひとに迷惑もかけた。もちろん今は感謝している。

 

ここではおもに、原動機付き自転車 を購入した。(未だに乗っている。もう8年。)

 

あぽろん古町店には金を落としている。

エピフォンのレス・ポール・タイプのギター。(まだ 手元にある。)

当時、一応 プロのかたにギターを習う。

 

良い先生だった。ロックのリフを教えてもらった。

習ったといっても 覚えている事は ほんのわずか。

 

    『チューニングはかならず合わせること』、『好きなミュージシャンのルーツをたどること』、そして『ソロを弾く時薬指から入る癖を直せ』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                  ・

                   ~ どうでもいいかい? 他人の『自分語り』、しかもWeb上での… 〜

 

 

 

 

高校2年生なったばかり、4月、青春真っ盛り、高校をドロップアウトしたわたしは スーパーで働いた。バイト。わりと広い。

わたしの部門は『中央食品』…カレールー、サラダ油、お菓子、小麦粉、そういう方面のモノだ。

 

 

そこで学んだことは

 

『大人』でも趣味に走りまくってる人も居るのだ ということ、

言葉は悪いが 『見たくない後ろ姿だぜ…』 という友人の言葉が なぜか印象に残っていること、

『若者社員』がむかつく こと、

初日(オリエンテーション的な)だけに居る『偉い役職の女のひと』とは わたしはそりが合わない ということ、

レジスター打ち が無いバイトはラクだ、ということ、

店長は激務なのだな やばいな ということ、

 

などだ。

 

 

同年代の人たちがたくさん居た。『バイト』らしいバイトだった。最後は悪いやめ方をして後悔している。

途中 店の移転などもありつつも、結局そこには2年と少し 居た。

 

 

このあたりではさすがに いろいろ楽器関係を買い出している。

あぽろんSATY店には金を落としている。

黒いテレキャスター。(未だに使用している。)エフェクター各種(当時買ったものは 手元に残っていない)。

 

                          少年はマルチエフェクターに走りやすく、老いやすし。

 

 

 

 

 

                                                         ((つづく。))

 


 

宅配ピザ屋は3日くらいでやめた。まったく、まったく出来なかった。

キモオタ系(?)の店長に2時間くらい立たされボロクソディスられて…今だったら…ちくしょう!!(どうしようもない)。

だが、だが、その仕事を紹介してくれたひとに迷惑をかけた。(やはり労働はひとりで見つけなければだめだ、と学んだ。)

 

テレフォン・アポインターのバイトは わたしが入って半年で 会社が崩壊して全員解雇となった。ほぼ大学生。

気まずい職場だった。自信過剰な紳士(相当ウザい)の社長は病気でダウン。もうよくわからん。

 

ビニールハウスの設営は1日でやめた。後にも先にもあんな筋肉痛は初めてだった。この時(たった1日だが)『肉体労働者のおっさん』のイメージが刷り込まれる。

(未だに募集広告を見かける。戦慄する。)

 

某コンビニ(夜勤)はひどかった。背の低い、鬱屈した、『呼び込みやってた』のが自慢なギャンブル店長にこっぴどく言われた。1週間でやめた。

思い出したくない。ひどかった。いつか報復したい(嘘)。当時 布団をひっかぶってヒップホップを聴いた。

 

おもしろいこともあった。

チェーンの酒屋に面接に行ったら 女性の店長に『学校に行きなさい。履歴書はお返しするわ。』とクールだった。

 

 

ちなみに・

わたしは高卒資格を取るため、こう、なんていうのだろうか、

ネットで言うところのメンヘラ(?)、鬱、自閉、不良系の跋扈する高校へ行ってはいた。が、そこも やめた。

結局ビデオでお勉強して『認定試験』を受け、 晴れて『高卒』。 (笑っちまうな。いいんだぜ。笑っても。)恥ずかしいことだよ。ぜんぜん、いけてない。

 

 

                                                        ((つづく。))

 


 

某大手『デパート的なスーパー』に受かった時19歳だった。部門は鮮魚。やはり、大手の良い所は『紛れ込む』感 だ。人も多い。目立たない。たまらない。

 

多いのは淑女のみなさま。

そう、給料は良かったがなかなか『くせ者』なおばさま達との闘いの日々だった。時給の高い・低い の話で、隣の部門からやって来たおばはんに詰め寄られたこともあった(おいおい、おれに言うなよ…)。

 

そんなババァ達もやめる時はみんな優しさを見せた(だからどうした?とあなたは言う。おれはあなたに言う。だからどうした?)。

半年間 居た。もっと居ても良かったかもしれない。

 

あぽろん古町店には金を落としている。

そこでの給料で Rolandのシンセを買った。  あとはもっぱらバンド費。

 


20になってもPCもネット環境も無いわたしは某大手飲食店の新店、オープンスタッフとして働き出した。

2年間居たが、特に後半の1年は稼がせてもらった。

そこで、ようやく『労働』の『何か』を(少しだけなのだろうが)かいま見ることができた。と言えよう。

 

21の時ネット開通。PCはまだ自宅のWindows。

 

バンドで金を出し合いProTools を買ったりもしたが、

 

あぽろんe-Shop には金を落としている。

極私的に

YAMAHAの安いミキサー/オーディオインターフェイス、付属していた Cubase AL4、

KOLG R-3、

VOXのアンプ、

 

 

などを購入。

 

 

当時はよく朝方まで録音したものであったが、いくつかCD-Rをつくった。

音源は自主回収したいものである。((だって、タイトルが『ゴッド・ファッキン・ギター・サンプル』とかだぜ!!だせえ!!))

 

 

22でそこをやめてしまう。

 

激務だと思う。タフだった。

だが社員の人たちは(厳しかったが)、変な言葉だが 人情 みたいなものがあって、それは経験したことの無いもの であった。

百戦錬磨、いろんな人間を見てきた人たち。

新潟のあんちゃん のわたしには非常に鮮烈だった。

 

自身に『器』が無く 迷惑もおかけした。

 

だがもう、そういう…人間の…こう、流れ っちゅうか…

そういうことも わかっている、『知っている』かんじ、であった。『あるある』といったような。 

 

 

                                                          ((つづく))


 

                             〜 休憩 〜

 

 

 

 

『自分語り』をされるとうんざりするものだ。

 

あなたのうんざり『ドン引き』顔がみたくてみたくて                         

 

 

 

 

 

                                               しゃあねえわ!!!   だらあ!!!

 

 

 

 

                         ああ!ああ!! 気が狂っておられますわ!!ええ!!そうですとも!!!

 

 

おねがいします おねがいします ((==やれりゃあいいんだよ。==))ノイズはお送りしません。グリッチもオーヴァードーズもここには いまは ない。

 

 

モラルが も げ て い る  匂 い が す る の で

 

換気扇におはぎを詰めろって言ってんだよ!! 比喩じゃねえよ!!!! と すごんだら。

 

気が違った 宝塚歌劇団の ひとのように  く る く る  ま  わ  っ  て

 

 

 

 

 

      さ    もろみそ みてえな ポエム(笑) が いま             なう 。

 

 

ノイズはお送りしません。

 

 

ほら、 ほ ら ご ら ん  よ

 

 

身なりの良い人が高級な料亭で「はぁ、ははぁ、貴殿も『ポイプル』で口の中を満たして むせび泣きながら 部屋の隅っこをみつめていらっしゃっておられましたかー!!!いやぁ、趣味があいそうで安心しましたたたたたたたたたたたもわったたたたたたあああたったたたたたたたたたたー」と言う時があ…ぅあ… あるじゃん?それをDSDレコーダーで録音するだけの

 

 

 

 

かんたんな

 

 

 

 

 

 

 

おしごとです 。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                            ((つずく))

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                                                                               2011 01 13

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Beast Rest Forth Mouth | REMIXED (2CD)
Beast Rest Forth Mouth | REMIXED (2CD)

 

 『Grizzly Bear も絶賛!!

Table Of The Elements から作品をリリースしていた実験的エレクトロ・アコースティック・デュオ『Presocratics』の片割れで、かつては Savath + Savalas のツアー・メンバーでもあった才人、Jon Philpot によるプロジェクト『Bear In Heaven』のセカンド・アルバム。


そのリミックス盤には High Places, Studio, Jesu の Justin K. Broadrick, そして目玉は Axel Willner, aka the Field などなど。』

なかなか いいキャラしてるバンドだ。


 

 

ろくでもない。  

わたしがぐだぐだ言っている間に 地球はまわる。 秋葉原ではSandy Bridgeこと新Core i7/i5  が売れる。男たちはコアを買いにいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは鬱病の人間は嫌いだ。

鬱病になりたがっている人間は もっと嫌いだ。  

 

 

 

 

病名なんて無い。薬なんて無い。

                       (ジャムおじさん、ぼくゥ 気ィ狂てないでェェェ)

極私的に『軽度の症状』を覚える…  

 

あらゆる金銭の支払い、交換がキツい。  なぜですか? なにをおっしゃっていらっしゃっておわすになられておられますか?存じますぅぅ。(笑)。

最近 わかったぜ。

 

 

労働している人間と、それを観るのがつらいのだ。

 

 

ケチになったのではない。ラーメン屋に食券を渡す時。コンビニエンスストアーで煙草の番号を告げる時。

 

 

胸くそが悪い。

 

リスペクトしていたのに、最近態度が悪くなったラーメン店主が『自分より背の低い可愛いらしい女子』しか雇わねえ事にも気づいた。ヘラヘラすんなら客にそうしろよ。男も自分よりサエなさそうな奴を選んで雇ってる。

気持ち悪い と思った。それはかっこいい『ヤカラ』じゃねえ。  

『飲食は卑しい』とか、すぐにサラリーマンに言われちまうぜ!!   

                                  (ジャムおじさん、ぼくゥ 気ィ狂てないでェェェ)

                                         (ジャムおじさん、ぼくゥ 気ィ狂てないでェェェ)

 

倦怠感まっさかり、遅れすぎた反抗期、コンビニのおばはんはムカつくし、しかもお互い『コイツ…(!)』という自覚のもと、『スタンドの戦い』みたいになって つらい。セブンイレブン行くのやめた。  

だがローソンはオーナーがいつもにやけてて不気味だ。  おばさんの方は、おれが昔一回駐車場にゲロ吐いたから冷たい。むかつく。

ATM、コンビニ払い …かならず用があるから つらい。

 

酒類はやっぱ深夜スーパーに限る。 近所のおばはんの『神の見えざるネットワーク』はなめちゃいけない。連中は目撃情報に目撃情報を重ね、分析し、補完し、常に情報を最新にする。つらい。

 

 

 

 

うかうか外に出られない。  

 

 

 

 

 

 

わたしには夢がある。

 

マトモに就職したらスーツ着て すべての近所を回るんだ。

 

背中に『わたしはマトモじゃよ。ほおら、スーツ着てるじゃろ?』と 毛筆で書いた紙を貼付けて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                                                                               2011 01 10

リミックス ? カヴァー?

わたしは ヒマ なのか? あほ なのか? そう、おそらく 後者でしょう。ええ、おそらく そうなのでしょう。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                                                      2011 01 08

 

最近貼ってた音源は『リミックス』の項目に移しました。


 

家紋麺 ! 2011年。           W h a t ' s   U p ? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若干ネット上で気になるひとの音源がリリースされた模様。

試聴出来るようだ。

有料配信。7曲目だけフリーダウンロード。

 

 

勝手にリンク。

 

Nurie Orchestra

 

 

このかたの ひねりの効いた文章的 な もの は、愉しく読まさせていただいている。だがわたしが興味を持つのは ? それだけではない。からで。

 

 

以前マイスペースで聴いたのだが、 音のクオリティが高い。       「おお…」となった。

 

 

 

                ぜひ。        (さっそく7曲目をダウンロードしてみたが、ファイル形式を選択出来るのか…そうか…  )